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しかし「弓道部の女の子がみんな正規空母にみえる」って響きすごいな、精神科で言ったら間違いなく病名つけてもらえそうだ
6日前に投稿

koumorigasa:

summer vs blackhair

1週間前に投稿

日本人は特にだと思うのですが、集まると下品になるんですよ。慰安旅行に行って50人ぐらいで同じ浴衣着ると、もう“ゴミ”みたいな奴になるでしょ(笑)。
祭りで同じ半被着たり、学園祭で同じスタジャン着たりすると、思考能力が2割ぐらい落ちるような気がするじゃないですか。ある制服を着て、ある集まりの中にいると、頭を使わなくなってしまう。

これを昔の言葉で「群集」というのですが、現在のネットは「群集」を生成する装置になっていると思います。

1対1で普通に話せば、非常にまともで常識的な人間であっても、ネットの中で発言すると、わりとろくでもない奴になっている

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 いつだったか。
 八九寺がそんなことを言っていたか。
 好きでい続けるための――努力。
 それは決して、不実ではないと。
 これ以上なく――誠実だと。
偽物語(上)
1週間前に投稿
 漫画版(以後、小畑キル。原作に近しいと言われる)と映画版(以後、トムキル)の違いは、それこそ、日米の創作物のありかたの違いのように感じた。

 トムキルはハリウッドのシナリオ技法の教科書のような出来だと思う。
 三幕構成というか。この辺までに物語のルールを決めて、挑戦させ、挫折させ、みたいな基本どおりの流れを、あの手この手でキッチリ全てに見所を用意して魅せる。
 パシフィックリムもそうだったし、ピクサーのアニメもそう。マトリクスも。
 この辺の万人に受けるかどうかのABテストを繰り返したようなシナリオ(実際ABテストをやることも多い。エンディングを複数作って試写会、ウケの良かったものを上映するとか)は、さすが世界に向けて商売してるなと感じる。
 ソシャゲ的だなという感想すら出る(ジンガのゲームはABテストのカタマリ)。

 翻って、小畑キルは、わりと作家性を濃く感じさせる。構成自体もそうだし。変化球のキャッチボールのよう。それが面白さを生む。(かなりスタンダードではあるが。比較として)
 日本の漫画や映画、その他創作物ってこのタイプが多い。
 尺八や三味線は、常に一定の音を譜面どおりに鳴らす楽器ではなく、にごった音、すこし調子が外れた音などを含めて、複雑な味わいを持つ。
 日本の大衆演劇や古典落語なども、演者も視聴者もお互いを知り尽くした上で、揺らぎを楽しむ。
 なんというか、日本人の国民性(この辺の言葉はアヤが出やすいが、厳密ではなく)として、「同質性が高い」ゆえに、細かい違いや、揺らぎ、作家性とかに楽しみを見出せてる気がする。

 かたや西洋の楽器だと、オーケストラみたいな、正しい音を正しく出す。そしてそれを複数使って厚みを出す。みたいな印象だ。
 どんな人種がどう観ても解る様な、面白く感じるようなつくりになっている。

 悪い言い方を使うと、日本の創作物は「内輪ウケ」的なのだ。
 なんか私小説とか、日本以外ではあんまり見ない形態だというが。そういう感じ。
 お互いが良く分かり合ってる均質な人たちのなかで、違いを楽しむというか。
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野外に放たれる夜間のレーザーライトが果てしなさ過ぎて怖いです。

夜空ってどこまでも広くて暗いですよね。
それが宇宙の素の姿に一番近い状態だと思うんです。
そこにレーザーライトを放つ行為は、宇宙が望んでいないと思うんです。

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